2009/12/06(日)

吉野ヶ里歴史公園

宿を出て荷物をロッカーに預けてから、長崎本線の普通に乗って吉野ヶ里公園で下車。駅から吉野ヶ里歴史公園の東口まで徒歩15分。公園は2つの駅のちょうど中間に位置するので、西口だと隣の神埼からになるが、遺跡があるのは東側。入口で入場券を買って、「天の浮橋」を渡ると、写真で見たことがある物見櫓が遠くに見える。環濠入口には丸太を隙間なく立てて並べた柵の内側には溝があり、その内側には先を尖らせた丸太を散りばめた逆茂木が再現されているので、結構物々しい雰囲気である。体が冷えていたので展示室で暖を取りつつ資料を見た後、櫓門に登ってから南内郭に入る。弥生時代の集落を可能な限り再現してあり、吉野ヶ里のシンボルともいえる物見櫓の他、竪穴住居が並んでいる。4つある物見櫓のうち2つは登れるようになっていたので、まずは南西の櫓から周囲を見下ろす。柵を挟んだ西側にも建物群が復元されているので、アングルによっては弥生時代の風景写真を撮ることが出来る。さすがに当地の遺跡だけでは建物の高さや形までは分からないようだが、銅鐸の絵や中国の例などを参考にして復元したとのこと。続いて竪穴住居を見学。腰をかがめて入口を入り、半地下となっている家の中に潜ることになる。内部は人形等を使って当時の生活を再現している。「王の家」「妻の家」「娘夫婦の家」とか書いてあるけれど、想像で補っている部分もあるのかな。

古代赤米雑炊

南内郭を出て、道路を越して少し歩いて北内郭に向かう。こちらは祭祀の場だったようで、遺跡内最大の建物である主祭殿がある。中に入って3階まで上がれるようになっているが、窓がないので外の景色は何も見えない。内部には多くの人形を使って、巫女や王の儀式の場面となっているが、弥生時代ともなると考証がとても難しそう。その後は甕棺墓列を経て、支配者層の甕棺が多数発掘された北墳丘墓へ。外側は土で墳丘墓を復元しつつ、内部は広い空間を確保して発掘現場を保存展示してある。ここを折り返し点として司祭者の小さな集落「中のムラ」、南内郭に隣接する「倉と市」、そして畑の傍に一般人が住んでいた「南のムラ」まで順に見学。遺跡エリアの見学を終え、入口まで戻ったところで午後1時を過ぎていたので、公園内のレストランで昼食を取ることに。佐賀牛メニューもあったけれど、ここはやはり古代赤米雑炊を注文。食後は館内のシクラメン展を少しだけ覗いてから駅に戻る。

旧福田家

佐賀駅からてくてく歩いて昨日の続き、ということで佐賀市歴史民俗館のうち、少しだけ離れた場所にある旧福田家へ。大正時代の和風住宅だけれど、洋風の応接間もある。続いて訪れた旧牛島家は他の場所から移築したもので、江戸時代の町屋建築。その次の旧三省銀行は明治時代の倉造りの建物で、入ったところは商家風だが2階に洋間があったりする。残るは武家屋敷風の旧古賀家だが、イベントが終わったところで大量の椅子を運び出したり後片付けの真っ最中。隣の旧古賀銀行の喫茶室も貸切営業となっていたので時間つぶしも出来ず、内部見学は諦めて駅前ゆきのバスに乗る。

佐賀駅から福岡空港に向かうならJRの特急を使うのが一番早くて時間も正確なのだけれど、高速バスだと必ず座れて乗り換えなしで運賃も約半分。時間にはかなり余裕があったので、荷物を取り出してからバス乗車券を購入。時刻表を見て吉野ヶ里歴史公園を経由する便もあることを知ったが、一日一往復のみの運転だった。高速バスは市内停留所の他、高速道路でも途中何カ所かで停車したが、寝不足で歩き回った当然の帰結として車内では熟睡。福岡空港最寄りのインターで降りたところで目が覚める。福岡で食事するならやっぱりラーメンかな、ということで豚骨ラーメンと餃子のセットを食べてから、同じフロアにあるカード会社のラウンジで休憩。そこからは第3ターミナルの方が近かったので、専用検査場から航空会社のラウンジに入る。

保安検査場混雑のため出発が遅れたので、羽田到着も少し遅くなる。休日夜のTXは区間快速が主体なので、最終の高速バスで帰ろうかなと道路情報を見たらかなり混雑しているようだったので、おとなしくモノレールに乗って秋葉原に向かう。