2011/05/28(土)

岡城趾

台風の接近に伴い前線が活発になっているので、朝から天気が良くなくて午後からは大雨になる予報。晴れていれば行ってみたい場所も沢山あったのだけど、この天気なら午前中は大分市内観光かな~と思っていたが、調べてみるとあまり見所がなかったりする。それでも午前中なら小雨で済みそうなので、大分駅から「九州横断特急」に乗って内陸部を目指す。線路改良をしていない山間部の単線区間なので、特急に乗っても格段に速くなる訳ではなく、1時間と少しで豊後竹田に到着。駅のロッカーに荷物を預けて観光開始。最初は傘が不要な程度の霧雨だったが、稲葉川を渡って市街地を歩いているうちに小雨に変わる。案内標識に従ってトンネルを抜け、坂道を上ると岡城趾の石垣が見えてくる。入場券を購入して、少し先にある大手門跡から急な段を登って、高台の上にある城跡に出る。竹田は瀧廉太郎縁の地で、岡城趾にも足繁く通ったことから「荒城の月」のモデルとされるが、作詞の土井晩翠の出身地は仙台である。城跡のある高台は細長く続いていて、区画も3つに分かれているので通常の城3つ分くらいはある。大手門付近だけを見学するコースもあるけど、折角来たのだからと東端にある下原門跡まで延々歩く。

切り立った石垣の縁を通る道で展望は開けているが、雨で足下が滑り易くなっているのであまり端には近寄りたくない。眼下には白滝川が流れ、その向こうの国道から時折「荒城の月」のメロディーが聞こえて来る。管楽器っぽい音だからブラスバンドの練習? でもドップラー効果があるから車のクラクション? それにしてはいつも同じ辺りから聞こえて来るし、そんなにミュージックホーンがこの地方で流行っているとも思えない。後から調べてみたところ、“メロディーロード”といって車が通ると音楽を奏でるように加工した道路だそうな。天気が良ければ久住山は勿論のこと阿蘇山まで見えるそうだが、これだけ天気が悪いと向かいの山さえ霞んで見える。最初は雨に煙る古城も風情があって良いと思っていたけれど、次第に雨脚が強まって来る。御廟跡から三の丸跡に戻り、滝廉太郎像のある二の丸跡を経て本丸跡にも登るが、昭和になって再建された神社以外の建物は何一つ残っていない。西側の高台が一番広く、奥にある家老屋敷跡は床面が全て復元されているので面白い。北西にある近戸門跡から「七曲り」と呼ばれる坂を下るのが順路であるが、雨の日は滑り易いとの助言に従って西の丸御殿跡を通って大手門跡から元来た道を辿る。

殿町武家屋敷跡

竹田市内に戻って「歴史の道」に足を踏み入れ、土塀や蔵の残る殿町武家屋敷跡へ。その先にある旧竹田荘はパスして、市立歴史資料館を見学した後、瀧廉太郎記念館に入る。“楽聖”とも呼ばれる作曲家が12歳から14歳まで住んでいた家で、資料映像を観てから当時の写真や譜面などの展示、そして家の裏手にある蔵や厩洞窟も見学。記念館や城跡で耳にした「荒城の月」のメロディーが記憶にあるものと一部違っていたが、山田耕筰が11番目の音を半音下げていたということ後から知る。外に出ると雨はさらに強くなっていたので、丘の上にある愛染堂には立ち寄らず最短ルートで駅に駆け込む。昼はガイドブックに載っている店で郷土料理を食べるつもりだったが、ロッカーから取り出して場所を確認すると瀧廉太郎記念館の近くだった。さすがにこの大雨の中を出直す気にはなれなかったので、駅近くの温泉で体を温めてから売店でサンドイッチを購入。

関サバの刺身

「九州横断特急」で大分に戻り、日豊本線の普通に乗り継いで別府に出る。駅前からバスに乗り、鉄輪温泉を経由して明礬温泉へ。紺屋地獄バス停で下車して、「別府温泉保養ランド」の泥湯を利用。アイスランドのブルーラグーンでも底に泥が溜まっている場所があったけれど、本格的な泥湯を経験するのは初めてのこと。湯が濁っているので湯船の中が見えないだけでなく、底に泥が堆積しているので出入りは足探り(?)で慎重に。小雨の中、露天風呂に長く浸かっていたら、泥の保温効果のせいか少しのぼせそうになる。夜はガイドブックを頼りに別府駅前の店で食事。名物の関サバは確かに美味だったけれど、焼酎以外の値段設定がかなり高めだったので、早めに切り上げてすぐ近くの居酒屋に移動したりして。