2003/11/02(日)

深夜から明け方にかけてかなり雨が降ったようだが、朝には上がって今日は良い天気との予報。チェックアウトを済ませ、荷物を預けてから観光再開。今日は祖納に直行して、そのまま東を目指す。まずは東南部にある名所に行くべく、ショートカットコースを選んだら、やっぱり結構起伏があった。それでも筋肉痛はほとんどないから、まだまだ大丈夫。ようやく海岸に達したところで、最後のもう一頑張りで立神岩へ。雨で湿度が高くなったところに天気が回復して南国の直射日光で、しかも自転車で8キロもやってくると、汗も半端ではない。幸い風が強かったので、展望台でしばらく休憩。

与那国立神岩

島のこの辺りも断崖続きで、麓の海から柱のように突き出た岩が立神岩である。撮影はしたけれど、このスケールの大きさを写真で表現するのは難しそう。風が強いのはいつものことなのか、風力発電機が2機稼働している。分岐点に引き返して、その形から軍艦岩と名付けられた岩を見下ろすサンニヌ台へ。そのまま北東に走ってテキサスゲートを渡れば、最西端の島の最東端の東崎(あがりざき)へ。丁度沖を石垣行きの定期船(週2便)が航行中。「Dr.コトー診療所」の舞台・志木那島(原作では「古志木島」)は本土から船で6時間という設定になっているが、与那国島は石垣から船だと4時間で来られるし、石垣との間には飛行機が毎日1便あって、週3回は石垣と那覇にそれぞれ1便ずつ設定されている。携帯電話もちゃんと全島「圏内」だしね。

東崎の灯台・展望台は断崖の上にあって、近くに海岸まで降りる道がある。ものすごい急坂なので、自転車を上に置いて歩いて下ることに。白砂の海岸・ウブドゥマイ浜に出るのかと思ったら、それより東側の岩石海岸だった。西に通じている道もなさそうだし、とりあえず撮影だけ済ませてから崖の上に戻る。そのまま西への道を辿る。琉球王国の勅命によって設けられた船の見張り台「ダティクチディ」を見学してからもう暫く走れば、畑の中を下ってゆく。途中、ウブドゥマイ浜に降りる道は見落としたみたいだけど、たとえ見付けたとしても崖を上り下りする体力が残っていなかったという話も(^^;

立派な道路を調子よく走っていたら、祖納集落手前で突然行き止まりに。手前に戻って細い道に入ると集落に通じていたが、今度は南のはずれに出てしまったので、また引き返して西に曲がる。常に祖納を見下ろすティンダハナタが目印となるから、決して迷うことはない。島内各所に観光案内板が設けられているが、祖納のは英語のみならず中国語表記もしてあるから、カタカナ表記の名前も意味が良く分かる。例えばティンダハナタは「天田鼻端」で、ウブドゥマイは「大泊」、ダティクチディは「屋手久高台」。昨日と同じ店で昼食がてら休憩。そのまま西に向かい、久部良に戻る。最後に西崎と夕日の展望台を訪れてから、宿に戻る。休んでいると通り雨。降ったのが自転車走行中でなくてよかった。

早めに空港まで送ってもらって、公衆電話でメールチェックしようと思ったら、グレーではなくてグリーンだった。じゃあ食堂で時間つぶし~と思ったら「準備中」の札が。仕方がないので、ロビーでパソコンを起動して、「日記」でも書くべか(笑) ずっと流れているB.G.M.は「Dr.コトー診療所」のドラマで使われた音楽。「思い出だけではつらすぎる」は柴咲コウの歌だったのに、「銀の龍の背に乗って」はインストゥルメンタルだけだったのが残念。そういえば島のあちこちでドラマのポスターが貼ってあったっけ。

搭乗手続開始は1時間前。那覇からのプロペラ機が一旦石垣まで往復してから、那覇に戻る運用。石垣ゆきは満席だったようだが、那覇ゆきは半分くらいの搭乗率。帰りは西表、小浜、石垣の各島が雲の切れ間に少しだけ見ることが出来たが、そこから先は夕闇の中。那覇空港に到着した時は強い雨。とりあえずターミナル4階の食堂街へ。郷土料理の店が順番待ち状態だったので、大きめのレストランに入って「琉球御膳」を注文。割高だったかもしれないけれど、久々のジーマミ豆腐に感激。

ターミナルから陸橋を渡って、8月に開業したばかりのモノレールの駅へ。この開業により、日本国内の30万都市のうち、鉄道が通っていないのは一つだけになってしまった。それは、つくば市である(T_T) バスターミナル近くの駅で降りて、ホテルにチェックイン。歩いている時は雨が降ってさえいなかったのに、しばらくすると大雨。とにもかくにも疲れていたので、メールチェックしてから早めに就寝。おぉ、固定電話からだと、ダイヤルアップでもさくさく繋がる~