2005/04/16(土)

目が覚めたら日が昇った直後だったので、展望台から雲間の朝日を撮影。大東島は「沖縄で最も早い朝日」が見られることになっているが、それでも大阪よりも西に位置するので、その点では与那国島の「日本最後の夕日」の方がインパクトがあるかも(^_^;) 因みに大東島の名前は「うふあがりじま(=はるか東の島)」という沖縄の言葉に由来するのだとか。

北大東島

宿で自転車を借りて本日の観光開始。空はすっかり晴れ上がり、ほとんど雲がない好天。まずは北港を目指す。砂浜も入り江もなく、全島を崖に囲まれているため、大東島では崖に切り開いた道を下って港に出ることになる。海はどこまでも透き通って青く、岩に打ち付ける波は白く砕ける。元来た坂を登って、外周道路に戻る。島の中心部を横切ると高低差があるので、そのまま外縁を周り続ける。

空港ターミナル前を通り過ぎ、秋葉神社、天狗山経由で、滑走路を回り込んで「沖縄最東端の碑」へ。厳密に言うと本当の最東端は滑走路の端近くにある真黒岬なのだが、通常そこには近寄れないので、滑走路中央付近にこの碑を設置したのだとか。まぁ、碑としては沖縄県で最も東にあることだけは確かかな(笑) 眼下には「沖縄海」という岩場を切り開いた島内唯一の海水浴場があるのだが、何やら工事中だったので上からの見学。

反時計回りに暫く走れば、南大東島が見えてくる。さらに進むと南にある江崎港に到着。那覇からのフェリー(5日に1便程度)は島に接岸出来ないため、貨物ばかりか乗客までクレーンで積み降ろしをするとのことだが、そのクレーンがここにあったということは、一番最近はこの港を使ったということなのかな。

長幕と呼ばれる崖の縁沿いに進むと、上陸地点を見下ろす場所に作られた上陸公園に到着。南大東島への上陸(1900年)から遅れること3年、開拓者達が最初に上陸したのがこの場所である。今では港として使われなくなっているが、船の発着が出来るように岩場に手を入れてある。初上陸当時は勿論、自然そのままの地形だったわけで、島の中でここが何とか上陸の手がかりになりそうな場所だったということなのだろう。

北大東長幕

昼前になったところで一旦、島の中心部に向かう。途中で民俗資料館に立ち寄ったが、開いていなかったので、そのまま幕下と呼ばれる窪地に降りる。島で唯一の信号の近くにある売店で買った軽食で昼を済ませ、大東宮、赤池、大池と巡る。どこからでも崖に囲まれた窪地であることがよく分かる。長幕の下側に当たる屏風岩、赤池の近くのビロウ(ヤシ科)林を経由して、再び幕上へ。燐鉱石貯蔵庫跡や西港を見学してから、宿に戻って空港まで送ってもらう。

経由便も含めると、那覇と北大東との間は1日1往復、南大東との間は2往復ということになるが、北大東と南大東との間は1日1便だけで、往復ではなく曜日によって向きが異なる片道のみ。週末を挟む金土日月は北大東→南大東の運航となるので、今回はこの順に訪れることが必然的に決まったのである。北大東発南大東ゆきの所要時間は、滑走路へのアプローチを含めても僅か10分で、離陸したかと思えばすぐに着陸態勢に入るので、わざわざ車輪を収納したりするまでもない。間違いなく日本で一番短いフライトになるのだろう。

空港から宿の出迎えの車に乗り込むが、宅配便の配達も兼ねているので、少し寄り道をしてから宿に到着。今日も疲れているので、明日も天気が良さそうなことを確認してから、とっとと就寝。

ロバート・ジョーダン「黄昏の十字路(時の車輪シリーズ・幻竜秘録5)」読了