2014/11/23(日)

目覚ましよりもだいぶ早く、午前3時過ぎに目が覚める。その時点で6時間以上は眠っているはずなので、十分休めてはいるだろうということで活動開始。今日は早朝出発の山歩きということで2食分のおにぎりが部屋に届いていたが、1食目がどのタイミングになるか分からなかったし、少しでも荷物を軽くしたかったので、出発前に片方を食べてしまう。4時過ぎに宿を出て、迎えの車に乗って屋久杉自然館に向かう。途中で早朝営業の店に寄って、他の参加者のための弁当を購入。さすが登山観光が盛んな島だけあって、そういう営業形態の店があるんだね。

車を駐車場に停めてバス停に行くと、既に大勢の客が並んでいた。登山口付近は冬期を除き、一般車乗り入れ禁止となっているので、ここから先は全員バス利用となるのである。始発のバスは午前5時だけど、連休中日で混雑していたため、4時40分発の臨時便が出ることになり、どうにかそれに乗ることが出来た。着席制なので乗ってしまえば座れるか心配は不要。ここから峠を越えて30分以上掛かるので、仮眠を取る人が大半だったけど、こういう時はなかなか眠れない。終点の荒川登山口でバスを降りて、待合室でいろいろと準備を済ませてから、午前6時前に出発。といってもこの季節だと、日の出の1時間以上前で辺りはまだ真っ暗なので、懐中電灯やヘッドランプで前方を照らしながら歩く。登山口からは約8km、延々トロッコ軌道の上を歩くことになるが、最初の区間は歩行者用に整備されていなくて、枕木がでこぼこしていて歩き辛い。鉄橋部分ではさすがに線路方向に板を渡してあるものの、手すりが全くないので結構怖い。1時間近く歩いてようやく明るくなり始めたところで、灯りを消す。安房川を渡る辺りから先は、歩き易いように板が敷かれ、鉄橋部分も両側に手すりが付くようになる。ガイド氏によると、整備状況は管轄の違いを反映しているのだとか。

トロッコ軌道

分岐したトロッコ軌道の右ルートに入り、安房川を渡ると小杉谷の集落跡に出る。1923年に伐採拠点となり、1970年まで人が住んでいた場所で、最盛期には500人を越え、分校もあったのだとか。この辺りは樹齢の若い杉の植林が続き、ちょうど朝日が差し込んで神秘的な眺めとなっている。すぐ近くにヤクシカ(屋久鹿)が現れたりもする。トロッコ軌道をさらに歩き続けると、ところどころに巨大な切り株が見られるようになる。屋久島の杉は年輪が詰まって樹脂分が多いため、通常よりも遥かに長い寿命を持つことになるが、倒れたり切られたりしても腐ることなく残り続けるとのこと。そこから別の個体が芽生えて大きく育ったものが「二代杉」と呼ばれるが、軌道沿いには倒木の上に育った株が切り倒され、そこからさらに別の個体が育った「三代杉」もある。その先には幹の瘤が顔に見えなくもない「仁王杉」があるが、実はもっと顔らしく見えていた初代「仁王杉」が倒れてしまった後、たまたますぐ近くにあった似たような木を二代目とし、二代目を「阿形」、初代を「吽形」と呼ぶようになったのだとか。

ウィルソン株

登山口から約3時間で、トロッコ軌道の終点に到着。ここまではなだらかな坂がずっと続いていたけれど、ここからは本格的な登山道となる。大きな屋久杉(樹齢千年以上)の間を縫うように進むコースなので、「大株歩道」と呼ばれている。急な階段や坂を登り続け、最初に現われるのが「翁杉」であるが、残念ながら樹齢2千年の大木は2010年に倒れてしまっている。次の「ウィルソン株」は、400年以上前に伐採された切り株だが、周囲が約14メートルもある巨大なもの。20世紀の初めに屋久杉を世界に紹介したウィルソン博士の名に因む。切り株の中は空洞になっていて、湧き水や小さな祠もある。中から空を見上げると、ハート形に見えるスポットがあって、撮影の順番待ちの列が出来ていた。真直ぐだったため材木用に切り倒されたものの、中に大きな空洞があったため、運び出されずその場に放棄されたという幹が、今でもすぐそばに残っている。標高千メートルを越す、こんな山奥の巨木でも伐採されていたということは、裏を返すと今残っている屋久杉の殆どは、材木に適さないと判断されたからということらしい。

縄文杉

山道をさらに進み続けると、木々の間から島の中で一番高い宮之浦岳の山頂が確認出来た。標高1,936mというのは九州最高峰になるが、九州の山を高い順に並べると、8位までは全て屋久島島内なのだとか。海からいきなり高山が立ち上がる特異な地形は“洋上アルプス”とも呼ばれ、海岸の亜熱帯から頂上の亜寒帯まで、小さな島に多様な気候が同居していることになる。そんな解説を聞きながら歩いていると、林の中からぬっと巨大な屋久杉が現われる。樹高は15m、胸高周囲は11mで、推定樹齢は約3千年。以前は最大の屋久杉とされていたため「大王杉」と呼ばれているが、林の中にすっくと立つ姿は王者の風格である。その少し先で世界遺産区域に入ると、すぐに現われるのが「夫婦杉」。その名の通り、樹高20mを超す木が2本並んでいる。途中、水場などで休憩を 挟みつつ、登山口から5時間以上掛けてようやく、今回の最大の目的である「縄文杉」に辿り着く。樹高は25mで、胸高周囲は16mと、現存する中では最大の屋久杉である。木を保護するため、少し離れたデッキから見上げることになるが、それでも圧倒的な存在感が伝わってくる。しかし写真ではどう撮影しても、それを表現するのは難しいようである。その大きさから樹齢が7千年と推定されたため「縄文杉」と呼ばれているが、火山活動の記録からすると、そこまで遡る可能性は低いらしい。屋久島の山中は基本的に携帯電話は圏外となるが、ところどころピンポイントで電波が届くところがあり、縄文杉付近も辛うじてメールを送ることが出来た。

頭上のヤクザル(屋久猿)に見守られつつ、太古の杉を暫く眺めた後、登山客でごった返すデッキを後にする。すぐ近くの東屋は満員となっていたので、さらにもう少し歩いて高塚小屋の中に入って昼食休憩。最近立て替えられたばかりのログハウス風の避難小屋(3階建)だが、入口の扉が壊れていた。稜線に出て気候が変わったようで、辺りは白い霧に覆われ、ヒメシャラ群落の赤い木肌が浮かび上がっている。

荒川登山口

帰りは来た道をそのまま引き返すことになる。縄文杉、大王杉、ウィルソン株と逆順に辿り、大株歩道入口で休憩した後は、ただひたすらにトロッコ軌道を下り続ける。途中、安房川の岸辺での休憩を挟み、小杉谷集落跡を過ぎる頃には、周囲が徐々に暗くなり始める。歩行者用の板がない区間に戻り、手すりのない鉄橋は極力前だけを見るようにして渡る。未明に渡った時は灯りの届く範囲しか見えなかったので、それ程怖さは感じなかったのだけどね。荒川登山口に辿り着いたのは午後5時半前で、到着後すぐに日が暮れて真っ暗になる。休憩時間を含めて約半日の行程となった。バス停には長い行列が出来ていて、定刻5時半とその後の臨時便には乗れず、結局6時発の最終便となった。屋久島は年間300日も雨が降ると言われるので、半日の行程のために雨具だけはしっかりしたものを用意しておかないと~ということで今回は奮発してゴアテックスの雨具を上下で揃えたのだけど、道中はずっと晴れていたので、結局最初の一時間だけウィンドブレーカー代わりに、上着を使っただけとなった。実は2ヶ月前から膝回りの調子が微妙に良くなくて、山の上で痛くなったらどうしようとちょっと不安だったけど、サポーターを装着してなるべく負担を掛けないように気を使って歩いたら、何の問題なく歩き通すことが出来たので一安心。

屋久杉自然館から停めていた車に乗り換え、宿まで送って貰う。既に夕食の用意はされていたが、先に入浴を済ませてから食堂へ。昨夜は登山前で我慢したけど、今夜は心置きなく地元の芋焼酎を注文~といってもさすがに一杯だけにしておく。食後は部屋に戻って昨夜以来のタイムラインをフォローしていたら、当然のことながら睡魔が襲って来る。今朝起きたのは3時過ぎだったから無理もない。明日の予定は起きてから、その時の天気予報と体調(主に脚の筋肉痛)をみてから決めることにして、とっとと就寝。