2015/12/05(土)

朝6時過ぎにつくば駅に行ったら、窓口付近に行列が出来ていた。一瞬何かと思ったが、おそらく記念乗車券の発売日なのだろう。区間快速で都内に出て、北千住で常磐線に乗り換え、上野の構内で軽食を調達してから、新幹線ホームに降りる。いつも早めに来て時間を持て余すことになるのだけど、ぎりぎりで乗り遅れても困るので、このくらいがちょうどいいのだろう。乗車したのは「はやぶさ」なので、大宮を出た後は仙台まで無停車だが、仙台から先は各駅に停まるタイプで、3つ目の一関で下車。在来線に乗り継いで2駅目が、今日の目的の平泉。駅のロッカーに荷物を預けてから行動開始。風が冷たいけれど、思ったよりもずっと天気が良い。

中尊寺本堂

駅前からのバスが出るのはまだ暫く先で、所要時間からすると徒歩の方が早かったため、そのまま北に向かって歩き始める。国道を線路沿いに進んで桜並木を通り抜け、中尊寺の入口へ。そこからの参道は「月見坂」という急な坂になっている。杉木立の中に散在する弁慶堂や地蔵堂に寄りつつ、「東物見」からの展望を眺めつつ、まずは本堂を訪れる。そこから先に進んで、大日堂、阿弥陀堂から拝観券発行所に出る。坂道を登って来たとはいえ、すっかり体が冷えていたので、先にすぐ近くの「讃衡蔵」を見学。中尊寺を訪れるのは4半世紀ぶりとなるが、前回来た時にはこの建物はまだなかったようである。続いていよいよ覆堂の中に入り、金色堂の前に進む。ガラスに覆われた建物は、記憶にあるよりも光り輝いていた。中尊寺本来の建物はほとんどが焼失してしまったが、ただ一つ金色堂のみが被害を免れて今に残っているとのこと。経蔵や旧覆堂を見てから、奥にある能舞台まで行ってから、参道入口まで引き返す。

毛越寺庭園

帰りは国道から逸れて、平泉文化遺産センターに立ち寄る。さらに南に向かう途中で、「金鶏山まで200m」という表示があったので、軽い気持ちで行ってみたら物凄い急坂と階段だった。確かに直線距離としては短かったけど、結構しんどかった。そして標高はそれほど高くないため、山頂付近は木々に覆われていて、眺めはあまり良くなかった。麓に降りて元の道を先に進み、観自在王院跡に出る。奥州藤原氏ゆかりの寺院だったが、16世紀に建物が焼失。現在は遺構が残るのみだが、庭園や築堤の参道などが復元されている。隣の毛越寺(もうつうじ)も16世紀までに全ての建物が焼失しているが、こちらは庭園の周囲に新たに本堂や開山堂、常行堂が建てられている。宝物殿を見学してから境内を一通り巡る。平安時代当時の遣水(曲水の宴に使用)の遺構が残っているのは珍しいらしい。

高館より

今日はよく歩いたな~と駅に戻って次の列車に乗ろうとして、芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んだ場所を訪れていないことに気がつく。これまでの見学中に「高館」という場所だということを知ったが、改めて地図で確認すると駅から1km程度のところ。早足で行って来たらまだ次の列車に間に合うかな、ということで踏切を渡って旧街道と思しき道を歩く。無量光院跡の前を通り過ぎ、ようやく見えてきた「高館義経堂」は丘の上。とても間に合いそうもないので、列車を一本遅らせることにして、そこからは普通のペースで歩く。階段を登りつめると北上川の屈曲点を見下ろす場所に出る。眼下に広がるのは夏草ならぬ冬草だが、印象的な景色である。対岸の山では送り火をするらしく、溶け残った雪が“大”の字の形を浮かび上がらせている。さらに階段を登って義経堂を訪れてから、芭蕉の句碑も見ておく。そのまま駅に戻ると時間が余ることになるので、少し遠回りをして「柳之御所遺跡」と資料館を見学。奥州藤原氏の居所だったと言われる場所で、建物の遺構と大量の出土品が発見されている。

午前中は中途半端な時間に食べたこともあって、途中で食事をしないまま観光を続けてしまったが、時間の都合もあって荷物を取り出してから東北線上り列車に乗り込む。今日の平泉は霙の予報だったけど、結局夕方前までずっと晴れていた。最初からちゃんと計画していれば、もっと効率良く回れたのだろうけど、行きたいところは一通り回ることが出来たのでよしとしよう。一関で新幹線に乗り換え、仙台に移動。途中で眠ってしまわないよう頑張ったので、乗り過ごすことはなかった。さすがに空腹になっていたので、地下の食堂街の蕎麦屋に入って早めの夕食。仙台のワインバーも一応調べて来たのだけど、少し遠い場所だったし、ちょうど雨も降ってきたことだし、そして何より今日は寝不足で歩き疲れたので、ホテルにチェックインした後は部屋にこもる。明日は天気も回復するみたいなので、あまり遅くならないうちに就寝。