2016/07/22(金)

エステルゴム大聖堂

明け方に窓の外の雨音で目が覚めたけど、合計8時間以上眠ってから起床。こちらに来てからずっと寝付きがよくなかったけど、ようやく睡眠不足を解消。雨はすっかり上がって、青空が広がっている。今朝も迎えの車に乗って、昨日と同じ営業所でワゴン車に乗り換える。ブダペストを出た後は北に向かい、峠道を越えてドナウ河畔のエステルゴム(Esztergom)に出る。一旦町中を通過し、ドナウ川に架かるマーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria híd)を渡る。戦時中に破壊された橋は今世紀になって再建され、向こう岸のスロバキアとの間を、陸路で行き来することが可能になっている。シュトゥーロヴォ(Štúrovo)という対岸の町の名を、後から調べて知る。川岸の公園からは、エステルゴムの町並みとその上の丘にそびえるエステルゴム大聖堂(Esztergomi Bazilika)が見えるが、よく晴れているので逆光条件となっている。ハンガリー側に戻り、エレベーターに乗って大聖堂を訪れる。初代国王イシュトヴァーン1世が戴冠した場所で、川沿いのテラスにはそのモニュメントがある。大聖堂の建物はオスマン帝国の侵攻に伴い破壊されたが、19世紀に再建されている。持ち出されて難を逃れた一部の建材が、戻されて再現された区画も残っている。オプションでドーム屋根に登ることも可能だったので、今日もまた勢いで登る。展望台は人数制限があり、かなり待たされることになったが、天気が良いので遠くまで全方位を眺めることが出来る。帰りのルートが意外と長かったため、急いでも待ち合わせ時刻に少し遅れることになってしまった。

ドナウ大曲

ドナウ川に沿って東に向かう途中、デメシュ(Dömös)の教会跡を見学してから、川辺のドライブインで昼食休憩。ラーンゴシュ(lángos)という揚げパンは、チーズとタマネギを載せただけのもので、かなり大きかったけど問題なく完食。午後最初に訪れたのがヴィシェグラード(Visegrád)。丘というか山の上に要塞跡があり、その近くの高台からドナウ川を見下ろす。この辺りで蛇行した国際河川は、下流側で進路を東から南に転じる。ガイドブックでは「ドナウベンド」と紹介される地域だけど、英語とドイツ語が混じっているので、あえて訳せば「ドナウ大曲」か。因みに英語ではダニューブ・ベンド(Danube Bent)で、ドイツ語ではドーナウクニー(Donauknie)、そしてハンガリー語ではドゥナカニャル(Dunakanyar)となる。途中で天気が崩れるのではないかと心配していたけど、相変わらず快晴に近い晴天。

センテンドレ

続いて訪れたセンテンドレ(Szentendre)は、古くからの町並みが残っている。石畳の道を登って中央広場(Fő tér)を経由し、丘の上のプレーバーニア教会(Plébánia templom)を訪れた後は自由行動となったので、セルビア正教の教会と付属博物館も見学。歴史的経緯から、町にセルビア人が多く住んでいたことがあるとのこと。その後は気の向くまま町の中を散策し、再集合場所に戻って川下りの船に乗る。ここからブダペストまでは1時間と少し。相変わらずの晴天で、夕方前となって日が傾いてきたため、庇があってもデッキの座席に日が差し込んでくる。出航後はしばらく両岸に森林が続いていたが、次第に家が散見されるようになり、橋をいくつか潜るうちブダペスト市街地に入っていた。国会議事堂向かいのブダ側に接岸したので、宿までどうやって帰ろうかと思案していたら、短時間の停泊で再出航。今度はペシュト側に向かって進みだしたので、宿の近くで降りられるのかなと思っていたら、くさり橋を通り越してもまだ進み続け、エルジェーベト橋のところでようやく終着となりツアーは解散。かなり南の方まで来てしまったので、船着場から少し歩いて地下鉄の駅に行ったら、2つしかない券売機の片方しか稼働していなくて、紙幣は取扱中止になっていた。仕方がないので少し先にある別の駅まで歩いて、途中で乗り換えて帰ることにする。

ブダペスト夜景

宿に戻ったのが7時過ぎとかなり遅くなったけど、昼がどちらかというと軽めだったということもあり、頑張って夕食に出掛ける。第1候補の店が満席だったので、第2候補の店に行ったらそちらは大丈夫だった。注文したのはグヤーシュとピカタ風のチキンと白ワイン。夕食の後は、ドナウ河畔に出て夜景を鑑賞。当初は地下鉄や路面電車で夜景スポットを回ろうかと思っていたのだが、徒歩圏内でもそこそこ見ることが出来たので、遠出はせずに宿に引き返す。部屋でネットに繋いだら、ミュンヘンの事件のニュースに驚く。明日の乗り継ぎは大丈夫だろうかと心配になったが、空港には影響が出ていないようなので、帰り支度を少ししておいてから就寝。