2019/12/14(土)

雨乞御嶽

宿の朝食は7時開始と少し遅かったけど、最近起きる時間が遅くなっていたので丁度よかったかも。9時過ぎに宿を出て、ゆいレールで首里に移動して、まちま~いの「首里三箇 ~泡盛と王朝文化を育んだ城下町~」に参加。首里三箇とは、琉球王朝時代に泡盛造りが許可されていた鳥堀、赤田、崎山の3つの村のことを指すが、現在でも当地で営業を続けているのは識名酒造と瑞泉酒造のみで、咲元酒造は最近郊外に移転している。この辺りは王城近くなので、重要施設の跡も多い。聞得大君御殿(きこえのおおきみうどぅん)跡、首里殿内(すいどぅんち)跡、御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)跡は、現在それぞれ高校、公民館、教会になっている。これらを順に辿りながら、各所に残る井戸や石垣(ボーンター積み)も巡る。御茶屋御殿跡から雨乞御嶽までは高台の縁になっていて、今日のように晴れた日は那覇市街だけでなく慶良間諸島まではっきりと見える。崎山御嶽と崎山樋川(ひーじゃー)を経由して首里上の下まで行ったら、継世門は先週から通行可能になっている模様。

コースの終着は瑞泉酒造。見学&試飲も可能だったのだけど、以前訪れたことがあるので今回はパス。そういえば目の前のこの通りは、6月にサガリバナを見に来た所だよね~と思っていたら、季節外れの昼前なのに少し咲き残っていたので驚く。首里城公園の西側を通って、「首里ほりかわ」で昼食。席に案内される前に少し待ったが、食べ終わって外に出ると、かなりの待ち人数になっていた。坂を下って龍潭のほとりに出ると首里城を望むことが出来るが、遠くからでも焼け跡が一部見えていて、先日の火災が現実であることを思い知らされる。

首里城下之御庭

首里杜館(すいむかん)から守礼門を通って、首里城公園の中に入る。歓会門から瑞泉門、漏刻門あたりまでは以前と変わりなかったが、広福門前の広場は半分しか入れなくて、日時計の近くには行けなかった。そしてそこから見える北殿の屋根は、焼け崩れている。隣接する奉神門前の下之御庭(しちゃぬうなー)にある首里森御嶽(すいむいうなー)は無事だったが、ここから先の元有料エリアには進めない。その代わり京の内方面に抜けられるようになっていて、途中何箇所かで正殿方面を垣間見ることが出来るが、そこにあるはずの建物がなく、焼け跡越しに本来は見えないはずの魔所まで見通せるのが何とも悲しい。そこから西(いり)のアザナまで行って景色を眺めた後、今度は久慶門、銭蔵を通って東(あがり)のアザナの外側を回る。階段を登って降りた先にある美福門は閉鎖中だったが、先ほど見た継世門から崎山方面に出られるようになっている。これから首里駅に戻るのでと、もう一度東のアザナを回って階段を登り下りしたけど、後から地図で確認したところ崎山経由の方が圧倒的に近かった(^^;

のー饅頭

ゆいレールを牧志で降りて、国際通りから平和通り商店街に入る。以前、まちま~いの時に見掛けた製菓店に行くつもりだったのだけど、分かれ道まで行っても見当たらない。記憶違いだっけとその辺りを彷徨って、公設市場の仮設店舗まで行ってみたけど、やはり見付からない。仕方がないと諦めて市場中央通りを通って帰ろうとしたら、その途中で発見。記憶が二筋もずれていたけど、何はともあれ目当ての物を含めて2種類の菓子を購入。まだ宿に戻るには少し早かったので、パレットくもじの那覇市歴史博物館を見学。開催中の企画展は「琉球船と首里・那覇を描いた絵画史料」で、特別展は「王国時代の冬衣裳/尚家の本棚」。朝からずっと歩きっぱなしだったので、思ったよりも疲れていて、宿に戻ったら急に眠くなったので仮眠。夕方になってコンビニで調達した軽食を取ってから、牧志で買った「のー饅頭」と「ポーポー」を食べる。のー饅頭には食紅で「の」の字が描かれているが、「熨斗」の略だそうな。味としてはあんまんに似ている。ポーポーの方は黒糖風味のクレープを巻いたもの。沖縄には何度も来ているけど、どちらも今回が初めて~と言いたいところだが、先日石垣島の居酒屋で「ポーポー焼き」を食べていた。