2022/11/05(土)

先日、西舞鶴と東舞鶴を調べた続き(?)ということで、鹿児島と西鹿児島のことを調べてみる。まず1901年に鹿児島駅から東側が開業。現在の日豊本線の鹿児島-隼人に相当するが、当時の名称は「鹿児島線」。一時期は現在の肥薩線経由のルートが「鹿児島本線」だった。1913年に鹿児島から西側の「川内線」が開通した時に、武(たけ)駅が開業。1927年に「西鹿児島」に改称すると同時に、鹿児島本線は内陸の人吉回りから海沿いの川内回り(現在の肥薩おれんじ鉄道ルート)に変更。鹿児島駅の方が市役所や移転前の県庁、旧港にも近かったが、その辺りでは山が海に近かったこと、そして戦後に貨物ターミナルを鹿児島駅、旅客ターミナルを西鹿児島駅という役割にしたことから、西鹿児島の方が事実上の代表駅として発展したらしい。実際、新幹線開業前も、熊本方面からの特急は西鹿児島止まりだった。そして2004年の新幹線開業時に、西鹿児島駅を「鹿児島中央」に改称。

実質的な代表駅が名前と一致していないということでは、山口県の萩と東萩も該当していて、特急が停まるのは東萩の方だけである。こちらも経緯を調べたところ、1925年4月に「美禰線」として西側から萩駅までが開業し、同年12月に東萩駅まで延長開業。線路は旧市街のある三角州に入らず、川の外側を迂回するルートとなり、旧市街に続く橋本大橋の近くに出来たのが萩駅だったようである。しかし1933年に萩橋(東萩駅前)が開通してからは、旧市街により近い東萩駅の方が便利になったということらしい。